2005年 12月 10日
なるとの話 |
私はまあ、酒と同様にラーメンも好きなわけですが、別に有名なラーメン屋さんをあちこち歩いて回りたいと思うようなことは一切なく、しかしなんか食うか、のときにラーメンを選択する確立が極めて高く、とりあえず近所で目についたラーメン屋には入ってみる、という程度のラーメン好きです。
ま、酒もほぼ、このスタンスですが。
で、ラーメンを食いながらよく思っていたのは、「なるとよ、お前はラーメンに必要なのか」。
なるとによって、ラーメンにうまさの化学反応的な何かが発生するとはとても思えないのです。シナチクは好きです。ラーメンには必須と思います。コリコリ、で正解かどうかは分かりませんが、あの歯ごたえは、ラーメンの中において、あえて例えて言えばたのきんトリオでのヨッちゃんのような、シブがき隊でのフッくんのようなアクセントになっていると思います。ま、あえて例えてみた割には極めていまいちでした。そしてチャーシュー、私はたくさんはいらないのですが、チャーシューを煮込んだスープを味付けの一つにしてあるラーメンは数多くあると思いますし、ラーメンに有機的に結びついたトッピングであることは間違いないでしょう。
で、なると。
お前はラーメンに何を与えているのだ?
そんなことを思っていたのに加えて、なるとは、もともとラーメンが大衆的でなかった時代に、大衆的な印象を持たせるために入れたのがはじまり、ということも聞きました。
それみたことか、なると、お前は惰性で入れられているだけなんだよ。
が、そんな私の考えを改め直させられたラーメンが近所にあるのです。
岩のようにカウンターの中で動かないおばさんのいるそのお店は、大衆食堂的な印象の中華料理屋。
大きめのテーブル席しかないので、常に相席。年齢層は極めて高し。
その店のラーメンは、学生食堂の食器のようになんの装飾も無いラーメンどんぶりに入っていて、見た目も味も極めて素朴です。
うすく茶色に透き通った醤油ベースのスープに、カン水が多そうな黄色い麺が沈み、トッピングにはシナチク、小さめのチャーシュー、緑色のさやエンドウ、黒く四角く切り取られた海苔、そして、厚めに切った、白地に赤の渦巻きのなると。
それはまさしく、古きよき時代のラーメンを彷彿とさせ、そこに君臨する”なると”は、あたかも主役であるかのような存在感と、必然性を放っているのです。
そして実際に、厚めのなるとを噛み切るときの、ねっとりした感触は、このラーメンに「+なると」以上のものを与えています。
いや・・・、大げさでした。古き良き時代のラーメンなんて知らないし。
でも本当に、私が生まれたころから、同じラーメンを出しているんじゃあなかろうかという、普遍性と郷愁性を感じさせ、実際に結構うまいんです。いや、この、結構うまいというのがくせもので、こっち(関東)に来てから、どうしても普通に美味しいと思えるラーメンがなかなかなくて、それは単に味覚の違いなのだと思いますが、ここのラーメンは、普通にうまいと思って食える。
というわけで、今日もそこのラーメンを食いながら、なるとが必要とされるラーメンというのも存在するんだよね、って改めて思った次第。
ちなみに、その店は、ただのラーメンはうまいのですが、○○ラーメン、とか、その他の料理はいまいちなので、気をつけろ!(←すでに懐かしさが伴う)
さて、ここ最近の週末はずっと関西だったので、なかなか(こちらで)ゆっくりも出来なかったのですが、久々にこちらで過ごす週末、そして金銭的にも余裕あり。
と思ったらいてもたってもいられず、何名かのブロガーの方に鍵コメで、この土日飲めませんかと打診してました。金曜の夜12時過ぎに。迷惑な。。
というか、酔っぱらってましたすみません。誰々に声をかけたか、ちゃんと覚えてなかったりします。。突然何言うとんじゃーぼけーと怒鳴られても仕方ないところ、みなさん優しくご返事ありがとうございます。
※下の記事の不自然な大量の鍵コメの理由。
で、結局大多数の方の都合がつかなかったのですが。あたりまえですね。
今日は久しぶりに、目の前のバーでゆっくりすることにします。
ああうれしい、しばらくは金を気にせずに飲める。
というわけでそのうち、ガチンコ呑兵衛オフをやりたいと思っているのですが、どうしてもこじんまりとした店で、いつも飲むようなペースでやりたいので、少数精鋭、ゲリラ的にまた声をかけさせていただきますので、あからさまには迷惑がらないでくださいね・・・。
参加条件は、「酒を飲む、ということを人生の主軸に置いていることが、ブログの文章からうかがえる」なのですが、昨日声をかけた人たちは、なんだか女性ばかりだったような気が。。誰かいないかなあ。
まあみなさん、(うちの奥さん同様に)飲みの席では女性扱いされないことに慣れてそうな人たちばかりだと思うので、気を使う必要はないか。。
ま、酒もほぼ、このスタンスですが。
で、ラーメンを食いながらよく思っていたのは、「なるとよ、お前はラーメンに必要なのか」。
なるとによって、ラーメンにうまさの化学反応的な何かが発生するとはとても思えないのです。シナチクは好きです。ラーメンには必須と思います。コリコリ、で正解かどうかは分かりませんが、あの歯ごたえは、ラーメンの中において、あえて例えて言えばたのきんトリオでのヨッちゃんのような、シブがき隊でのフッくんのようなアクセントになっていると思います。ま、あえて例えてみた割には極めていまいちでした。そしてチャーシュー、私はたくさんはいらないのですが、チャーシューを煮込んだスープを味付けの一つにしてあるラーメンは数多くあると思いますし、ラーメンに有機的に結びついたトッピングであることは間違いないでしょう。
で、なると。
お前はラーメンに何を与えているのだ?
そんなことを思っていたのに加えて、なるとは、もともとラーメンが大衆的でなかった時代に、大衆的な印象を持たせるために入れたのがはじまり、ということも聞きました。
それみたことか、なると、お前は惰性で入れられているだけなんだよ。
が、そんな私の考えを改め直させられたラーメンが近所にあるのです。
岩のようにカウンターの中で動かないおばさんのいるそのお店は、大衆食堂的な印象の中華料理屋。
大きめのテーブル席しかないので、常に相席。年齢層は極めて高し。
その店のラーメンは、学生食堂の食器のようになんの装飾も無いラーメンどんぶりに入っていて、見た目も味も極めて素朴です。
うすく茶色に透き通った醤油ベースのスープに、カン水が多そうな黄色い麺が沈み、トッピングにはシナチク、小さめのチャーシュー、緑色のさやエンドウ、黒く四角く切り取られた海苔、そして、厚めに切った、白地に赤の渦巻きのなると。
それはまさしく、古きよき時代のラーメンを彷彿とさせ、そこに君臨する”なると”は、あたかも主役であるかのような存在感と、必然性を放っているのです。
そして実際に、厚めのなるとを噛み切るときの、ねっとりした感触は、このラーメンに「+なると」以上のものを与えています。
いや・・・、大げさでした。古き良き時代のラーメンなんて知らないし。
でも本当に、私が生まれたころから、同じラーメンを出しているんじゃあなかろうかという、普遍性と郷愁性を感じさせ、実際に結構うまいんです。いや、この、結構うまいというのがくせもので、こっち(関東)に来てから、どうしても普通に美味しいと思えるラーメンがなかなかなくて、それは単に味覚の違いなのだと思いますが、ここのラーメンは、普通にうまいと思って食える。
というわけで、今日もそこのラーメンを食いながら、なるとが必要とされるラーメンというのも存在するんだよね、って改めて思った次第。
ちなみに、その店は、ただのラーメンはうまいのですが、○○ラーメン、とか、その他の料理はいまいちなので、気をつけろ!(←すでに懐かしさが伴う)
さて、ここ最近の週末はずっと関西だったので、なかなか(こちらで)ゆっくりも出来なかったのですが、久々にこちらで過ごす週末、そして金銭的にも余裕あり。
と思ったらいてもたってもいられず、何名かのブロガーの方に鍵コメで、この土日飲めませんかと打診してました。金曜の夜12時過ぎに。迷惑な。。
というか、酔っぱらってましたすみません。誰々に声をかけたか、ちゃんと覚えてなかったりします。。突然何言うとんじゃーぼけーと怒鳴られても仕方ないところ、みなさん優しくご返事ありがとうございます。
※下の記事の不自然な大量の鍵コメの理由。
で、結局大多数の方の都合がつかなかったのですが。あたりまえですね。
今日は久しぶりに、目の前のバーでゆっくりすることにします。
ああうれしい、しばらくは金を気にせずに飲める。
というわけでそのうち、ガチンコ呑兵衛オフをやりたいと思っているのですが、どうしてもこじんまりとした店で、いつも飲むようなペースでやりたいので、少数精鋭、ゲリラ的にまた声をかけさせていただきますので、あからさまには迷惑がらないでくださいね・・・。
参加条件は、「酒を飲む、ということを人生の主軸に置いていることが、ブログの文章からうかがえる」なのですが、昨日声をかけた人たちは、なんだか女性ばかりだったような気が。。誰かいないかなあ。
まあみなさん、(うちの奥さん同様に)飲みの席では女性扱いされないことに慣れてそうな人たちばかりだと思うので、気を使う必要はないか。。
by nande27
| 2005-12-10 16:31
| 脱線